【北の渦】未来求め 逃避行1年

母親の胸にしっかりと抱かれる生後数か月の男の赤ちゃん。北朝鮮脱出後に中国で生まれ、逃亡生活をともにしてきた(チェンセンで)
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タイに入国した日、警察の建物の軒先で夜を迎えた。長い逃亡生活の習慣からか、一晩中交代で見張りをたてていた(チェンセンで)

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不法入国の罪で数週間の服役を終え、タイの入国管理局に移送される脱北者。このグループは、残された家族のことを気にして、顔を隠していた(チェンコンで)

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ラオス(右側)やミャンマー(左側)とタイ(手前)の国境が接する、「黄金の三角地帯」と呼ばれる一帯。地域住民が主に生活物資の輸送に使う小舟を使い、脱北者のタイへの不法入国が繰り返される

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チェンセン警察署から裁判所に移送される脱北者。化粧をする姿も見られ、表情は一様に明るい(一部画像を修整しました)


 「私たちは本当にタイに着いたんですね」。身ぶり手ぶりで必死に何度も警察官に問いかける女性たち。

 メコン川を挟みラオスとミャンマーが国境を接するタイ北部国境の町チェンセン。3月中旬、ラオス側からメコン川を小舟で渡り、タイ領内に不法入国したばかりの脱北者たちを目の当たりにした。その直後に逮捕、連行された地元警察署で、生後数か月の男の子の赤ん坊を抱いた母親は、不安な表情で訴えた。「ここ数日間、何も食べていないので母乳も出ません。何か食べ物をください」

 この女性たちが真冬の鴨緑江を泳いで中国側に渡ったのは一昨年の12月にさかのぼる。その後トラックやバスを乗り継ぎ、約1年かけて雲南省の昆明へ。メコン川上流では中国籍の貨物船にも忍び込んだ。1年3か月にわたる過酷な「逃避行」。しかし彼らは自分のいる場所がまだ良くわかっていない。

 数日後、警察での取り調べを終え裁判所に移送された女性たちの表情は一変して明るくなった。通訳から「ここはタイ。北朝鮮に送還されることはないと警察が保証している」と聞かされたからだ。「中国やラオスで見つかれば、北朝鮮に強制送還され、家族共々公開処刑される」。脱北者たちは常にこの恐怖と闘ってきた。

 タイ北部を経由して韓国や米国を目指す脱北者は、2004年には28人に過ぎなかったが、昨年は367人に。今年はすでに100人を超えている。バンコクの入国管理局の収監施設では、定員の3倍、300人以上の脱北者であふれる。チェンセン警察署では「ほかの事件や事故への対応に手が回らない。脱北者の直面する事態はわかるが……」と困惑を隠せない。

 「この子の父親は今でも北朝鮮にいます。韓国で仕事を見つけ、いつか家族で一緒に住める日が来ると信じています」。彼女らの将来への切なる願いだ。

カメラとペン・立石紀和 (3月16日~21日撮影)

2007年5月16日読売新聞)
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